そろばんをかじったという話

そろばんをかじったイラスト

こんにちは、イトヒツジです。

皆はそろばんをかじったことはあるだろうか?

私はある。全然美味しくない。あれは食べられません。

幼い時、弟と一緒に遊んでいたところ、祖父が二つのそろばんを私たちに寄越した。茶色と白色のものを一つずつ。この色の組み合わせや質感は…チョコレートじゃないか。チョコレートは美味しい。もしかしたら味がするかもしれない。

『チョコレートみたいだね。』

言えばいうほど食えるのではないかと思えてきた。その芽生えた好奇心は私を突き動かし、思わず事実を確かめずにはいられなかった。この感覚器官を持ってして。

幼い時は、周りの物事に対してあらゆる無限の可能性を感じながら生きている。自分という個を中心に置き、手探りで周りの世界を広げていく。だが、歳を重ねていくと、この現実世界は自分の頭の中ではなく、物理的な法則の中で成り立っていることを知る。それから、誰かから教えられたことや聞いたことをベースに、自分の中に構築することがたくさん出てくる。

そうすると、どんどん自分の体験で何かを知ろうとすることがなくなってくる。情報だけで知ったような気になってしまうのだ。

しかし、人から情報を参照するよりも、自分で確かめることでまた別の感覚や感じ方があるかもしれない。別の事実にたどり着くかもしれない。可能性はいつだって自分の感覚受容体を通して生まれるんじゃないか。

好奇心に従って行動することは、誰かの目には滑稽に見えることもあるかもしれない。それでもいいじゃないか。これって…どうなっちゃうんだろう?その好奇心の衝動は当たり前の外へ導き、自分だけの可能性を生み出していくんだと思う。

私がそろばんを食べるものでないと知っているのは、決して誰かに教わったからではなく、自分で齧って確かめた結果、食べられないと分かったから。

チョコでできた算盤があってもいい気はしてる。『1+1は2だァ・・・?うるせぇーーー!!!!!』思考の固定に対する強いアンチテーゼがコンセプト。その憤りを持って齧り倒していただく。あ、このように思いがけない発想につながります

菓子商品企画部の方、ご連絡お待ちしています。

例えば、昔の人が、フグを食すのは難しいと気づくのに、多くの人間の好奇心の犠牲があっただろう。そういう経験の集大成がフグには毒があるという情報である。先人たちが残してくれた貴重な資料や記録を参照していくことを無碍にすることはできないのだと思う。しかし、親指一つで溢れんばかりの情報を得られる今の時代だ。だからこそ、自分の体験に基づいた感覚を大事にしたいと思うのだった。

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