前回こっち↓
っしゃ〜〜〜〜〜〜着いた〜〜〜〜〜〜
飛行機に乗って約1時間ちょい。長崎空港に到着してからすぐにリムジンバスで長崎市内へと向かう。
1日目は、長崎原爆資料館→軍艦島クルーズ→長崎美術館という順路で回る。(約8~10km範囲内)
建築デザイン見学をベースに、歴史に触れるということを優先順位にした。
原爆資料館前
めっちゃ晴天。暑いくらいだった。
原爆資料館内
ドームの壁に沿って、スパイラル状のゆったりとしたスロープを降りていく。
柱時計
チケットを買ってフロアに入ると眼前に飛び込んできた柱時計。熱や爆風でフレームが変形し、歪んだ盤面上の針は永遠にこの11時02分を示し続ける。1945年8月9日。
76年経った今、たまたま足を運んだ私がこれを見つめている。神社の近くの民家にあったそうだ。所有者にとっては、日常の中において時分を知るために見つめていた物でしかなかっただろう。この時代であればきっと高価な物だっただろう。何かの記念で奮発して買ったものなのかもしれない。時計は、どこまでも個人や家族の生活の中でのみ機能するものでしかなかったはずなのに。針が指し示す瞬間までは。
キャプションには誰が所有していたかは記されていない。柱時計は日本の歴史の中で何が起きたかを客観的に示すもので、長崎原爆を象徴するもの。そうなってしまった。
行先を運に自ら委ねた私が、運に翻弄された人間の遺物を見つめている。ここに訪れるきっかけとなったpeach旅くじの一覧にあった都市の数々と重なってしまった。犠牲になった人たちは、たまたまその時長崎にいて、あるいは住んでいた。私は今日たまたま長崎にきた。私はこれを、過去のものだ、他人事だ、なんて言えない。
ファットマン
長崎型原爆『ファットマン』の模型。The Nagasaki Atomic Bomb(Fat Man) 気密性を高めるために接合部分は黒く塗装されている。
丸みのある流曲線に相反し、幾何学的で無骨な尾翼。上品な山吹色で仕上げられた外装。中心の接合部分は人の手で塗装したであろう黒い縁に不規則にズレて滲み出る赤。私はこれを最初に見た時、一つの美しい立体と捉えてしまった。第二次世界大戦を勝利に収めようとマンハッタン計画の中で開発された兵器。多くの人の命を奪うことを前提にどこまでも合理的に設計され尽くした姿は、無駄の無い洗練された美を纏っていた。
Wikipediaや資料を見ていると、実際のファットマンの写真には組み立て作業員のサインやメッセージが尾翼にたくさん書かれていた。
その中でも、アメリカ海軍のW.R. Purnell少将が書いた言葉は「A Seccond Kiss for Hirohito」(長崎は広島の3日後に原爆を落とされた。Hirohitoは昭和天皇の諱(いみな))。
自分たちが携わったこの兵器が戦争を終わらせて世界を平和に導くのだという正義に溢れ、そうしなければならないという使命感がそのサインから感じた。アメリカ政府が核発射を決断した真の理由は諸説あるが、昭和天皇陛下に向けられた美しき正義のキスは70,000人を超える犠牲を伴った。
ファットマン組み立てから運び出しまで丁寧に記録された写真が今でも残っている。→https://www.alternatewars.com/Bomb_Loading/Bomb_Guide.htm
*この先、人によってはショッキングな画像を添付しています。ご了承ください。
wikiさん、しっかり読み応えあって面白いです→https://ja.wikipedia.org/wiki/日本への原子爆弾投下
展示についての感想
展示の仕方がとても良かった。入り口の柱時計を通り抜けると、全体の照明が落ち、熱で歪にひしゃげた鉄の構造物たちと、大きな西洋式建造躯体の一部が、高く設けられた天井すれすれに大きく佇んでいる。爆発後は粉塵が空気中を舞い、しばらく光が届かず暗かったのだそうだ。その場面を再現し、まるで現場に取り残されたような臨場感ある見せ方だった。ここで私たちを引き込んだ後、突き放すように、次のフロアではキャプチャや展示品が淡々と置かれている、その設置方法は悲惨さの共有や追体験を仕向けるようなものではなく、事実に対し俯瞰的にこちらが向き合うような仕組みがあるように感じる。
物事を考えるにあたって、主観と客観を行き来することが大事だ。この展示は私たちに考えろと言っているのだと思う。「戦争はよくない。核兵器は持ってはならない。」そこで思考を終わらせてしまえば、ここでの犠牲は浮かばれない。現代は現代の戦争が起きる理由があり、核兵器を保有し続ける理由がある。一人一人が物事を時間軸で捉えて、構造を自分なりに多面的な視点から把握し、なぜ戦争は起きたのか、それぞれにはどんな意図があったのか、どういう背景があって、どういう結果をもたらしたのか。それらを歴史から読み解いて、社会や周囲、個人にそれぞれ落とし込む。そうしてやっと初めて世界が良い方向に歩んでいくための解決策が見出せるのではないかと思う。私たちの日常は、過去の人間の日常の延長線上に存在する。今海の向こうで起きている争いも地続きで私たちの先に確かに広がっている。かつての苦しみも過ちも決して切り離すことはできない。過去も今も向こう側の人も同じだ。私たちは、いつか行動を起こさねばならないときに備えられるだろうか。
長崎原爆資料館公式ホームページ↓
すぐ近くにある平和記念館に向かう。
原爆死没者追悼平和記念館
円盤型の施設は外壁も内装も一体的になっており、建築という枠組みの中に収まらず、人が出入りし体験することができる、祈りのためのインスタレーションであるようにも感じる。空間の一体感は、流水の扱い方や、色使いまで細かいところまで気の配られているゆえのものだ。光の入り方を念入りに意識して設計されているので、その時々で移ろいでいく様を眺めたくなるような心地よさを感じた。
この追悼空間の棚には犠牲になった人たちのリストが保管されている、現在の原爆死没者名簿登載者数は 189,163名。12本のガラスの柱が並ぶ方向に原爆の中心地が存在する。ほんのわずかの間、数分ではあるが黙祷を捧げる。9mもある高い天井の窓からは今日の快晴の空が青々しく見えた。
平和祈念公園
12本のガラスの柱が指し示すその方向に足を運ぶ。
ぐるっと深い用水路が公園を囲み、ゆったりとした敷地の奥に慰霊碑が置かれていた。
公園を含め施設全体が平和のために、また、犠牲者のために本当に丁寧に設計されていると思う。長崎駅から車で10分ほどの遠くない場所にあるというのにも関わらず静かで穏やかな場所であった。
過去の事実に向き合い、犠牲を悼み祈ること。そして、未来に目を向けること。それが、私たちができることだ。一人一人が変われば世界が変わるなんて綺麗事だけど、そう思い行動できたら希望が少しでも見えてくるかも。
そのためにも、まずは知ることから。何からでも、きっとそうなんだろう。そして、何かほんの小さなきっかけを作ることであれば、もしかしたら私たちにもできるかもしれない。
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