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軍艦島
船内は思うほど揺れずとても快適だ。大体30分くらい乗船していただろうか。
正式名は端島。島の付近で採取できる良質な石炭を用いた炭鉱産業で大きく発展。端島炭鉱の所有者であった鍋島孫太郎(鍋島孫六郎、旧鍋島藩深堀領主)が三菱社へ10万円で譲渡。端島はその後100年以上にわたり三菱の私有地となる。三菱社員をはじめ炭鉱に働く労働者とその家族を住まわせた。
島は元々大きな岩でできている。石炭採取からでたボタ(選炭した時に出る質の悪い石炭)を島の周りに埋めて拡大した。
人口密度はなんと最大で東京都の9倍。だからこそ、物資に制限をかけていた戦時中でも鉄筋コンクリート造で住宅を高層建てにすることを促進を行っており、当時流行っていた日本脳炎の感染をいち早く防ぐために大きな隔離病棟が存在した。
写真真ん中より左に小さな屋根が見える。これは端島神社。4月3日が例祭で、その日は唯一ベルトコンベアの稼働をやめて盛大に催した。それは、採掘作業で生きて帰ってこれるかは常に神頼みだったため。
炭鉱の労働環境はとても厳しいもので12時間2交代制。坑内の湿度は90%で気温は47℃以上もあった。
高浜村端島支所に残された1939年 – 1945年の『火葬認可証下付申請書』によると、この時期の端島における死亡者は日本人1162人、朝鮮人122人、中国人15人であり、朝鮮人や中国人だけでなく日本人も相当な人数が死んでいる。死因は主に爆焼死・圧死・窒息死などで、1940年の端島の推定人口が3,333人なので、住人の40%近くが死んでいる計算になる。-wikipediaより
過酷で命がけ。そんな仕事内容と労働区分の格差があった実情とは裏腹に、娯楽施設や病院、教育施設が充実していたことから当時の理想郷として見られていた一面もあった。
スゲ〜〜〜〜〜!*ニーアオートマタじゃん!!!!!
*スクウェアエニックスから出ているゲーム。
廃墟が立ち並ぶ空間はファンタジー要素たっぷりで興奮した。実際にMVや映画のロケなどで使われることも多々ある。(2015年の実写版進撃の巨人の撮影ロケ、007のセットモデルなど)
崩壊は日に日に進み、どんどん景観が変わっていっているとガイドさんは言う。まさに一期一会だ。
感想
ここまで大きな規模の廃墟を見るのは生まれて初めてだった。人の営みの痕跡が還っていく経過のひと時。人工物の象徴であるコンクリート造の建物たちが人の手を離れて経年劣化を重ね、自然の一部になっている。自然環境の影響をこのまま受け続け、コンクリートが朽ち果て切れば、本来の島のベースである岩と混ざり、いつかは見分けもつかなくなるのかもしれない。そして、もっと経年に任せれば、地下深くで眠る大古代の化石みたいに、塵になり混ざっていずれは同じものになる。これが還るってことか。自然と人工は反語であるけれど、相反するものでなく一線上で繋がっている。
ガイドさんが言っていたことだが、以前軍艦島に住んでいた人たちもツアーに参加することがある。彼らはカメラをすぐ向けず、懐かしがる顔をするからすぐに見分けられると言っていた。軍艦島は、私にとって歴史の一部でファンタジーで非日常の廃墟だけど、彼らにとっては日常の生活を行なっていた場所。今の私たちとは少し違って、命がけで大変な仕事をしながら。
私たちがとっくに寿命でおっ死んじゃった後に、このような光景が一面に広がる未来はいつか待ち受けているものかな。よくありがちな前時代のSFみたいだけど、例えば、人類が月に移住することが決まったら。私たちが当たり前に使っていた駅や商業施設も廃墟になっちゃうのだろうか。そしたら、時代検証する未来の研究者に、生活していた人たちの娯楽や営み、問題のことを、一緒くたに歴史の一部として書かれちゃって。革命家や政治家、時の権力者は自分たちが行なっていくことに歴史を意識した瞬間がたくさんあっただろうけれど、ただ日常を暮らしていた人たちは記録に残るものとして生活しているつもりなんて全くなかったものよね。この軍艦島に住んでいた人たちも、今の私たちと同じように。と、妄想も捗る。
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