前回こっち↓
そもそも長崎きた理由↓
時はだいぶ前に遡る。
ガチャガチャ報告をインスタのストーリー投稿したところで反応した大学時代の同期N(優秀)と会話をしていた。
「Sさん、長崎にいるよ、連絡してみたら?」
Sさんは大学時代の副士さん。授業のサポートをしたり、研究室で事務などを行なっていた。大学の先輩でもある。そうなのか・・・と思い、連絡をしてみると
Sさん「小浜の方来るなら案内するよ!」
まじか。正直、私の大学時代はお世辞にも良い生徒とは言えなかった。めちゃくちゃSさんに迷惑かけた。授業はちゃんと出ないし、提出物はまともに出さないし、掃除は参加しない。しまいには半年留年をする始末。(Sさんから直接メールで絶望の留年通知を受けた。ちなみに乱心して大騒ぎなメールのやりとりが今もフォルダにある)ほんとに申し訳なさしかない。それに加えて、そこまで深い会話をした機会がないままだったから、そのような反応をいただけることにびっくりした。しかもとても気にかけてくれる。行き方や迎えのことをこまめに連絡をくれた。ありがてぇ〜
Sさんとの待ち合わせ場所である諫早駅まで特急で向かう。
長崎駅から45分くらいで諫早に到着し、Sさんに車でピックアップしてもらう。卒業以来にお会いしたのでだいぶ久しかったがちっとも変わってなかった。
何をしているとか、長崎での暮らしのこととか、いろんな話をした。これが同郷の空気とでもいうのだろうか。既知の間柄ではあったけれど、よそよそしさやぎこちない空気なんか一切なかった。まるで前からこんな風に話していたような感覚。学生時代はまさかこんな風に話ができるなんてちっとも思わなかった。
時刻はちょうどお昼時。長崎に来たからにはと思い、ちゃんぽんを要望。
うめぇ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
・・・食べながら学生時代のことを振り返る。あぁ、なんでもっといろんな人と話さなかったんだろう。他学科の人間とは関わる機会があまりなかったけれど、せめて同じ環境の中で過ごしてきた同学科の人間ともっと話しておけばな。自分でも自覚があるくらい交流を避けていた。
たくさん人脈を作っても、本当に大事な関係が作れるのは数人程度だから、その人たちと今でも関係が続いてるのならそれでいいんじゃない?なんてSさんは言ってくれた。一理ある。
「俺は、あの時よりも今の方が喋るようになったんだ。」
そう言うSさんのことを見ていると、こうも思えてきた。今だからこそ、Sさんとこんな話ができているんじゃないか。もしかしたら、あの時の私ではうまく話ができなかった気がする。やりたいことがあやふやな上にどう生きていきたいか全く分からなくて、自分のことで頭がいっぱいだったから。今もまだはっきりとはしてないけれど、社会の中に入って、自分と周りのことが少しずつ見えてきた。関わっていきたい形がなんとなく見えてきた今だからこそ、ようやく周りに少し目を向けることができているのかも。
実は、同期N(優秀)とも在学時は滅多に話をしなかった。
人には、機会とは別に、自分のスタンスのタイミングがあるのかもしれない。私とSさんはたまたまどちらも重なったからこうして喋っているのだろう。
まぁ・・・それにしてもだいぶ距離置いてたよね。自分。
ほんのり浮かび上がる後悔をレンゲで一掬い。ちゃんぽんと一緒に啜り上げたのだった。
この後は、夕食の買い出しに一緒について行く。天気も良く暖かいから、小浜温泉の海沿いの桟橋でゆったり食事をする。夕小浜の海温泉を使用した釜がレンタルできるので、食材を蒸して食べるとのこと。かく長崎に来たからと、長崎で自家採種をして育った野菜を振る舞ってくれる。嬉しい。
Sさんは雲仙市の協力隊に所属していたため、雲仙市のことに詳しく、地元に人脈を広げていた。このタネトもそのうちの一つであった。Sさんはオーナーさんに親しげに話しかけられる。
食材を購入した後はアイアカネ工房にお邪魔した。手染め雑貨を取り扱うお店だ。ここで面白いものを見つけた。
協力する方は地元の人だけでなく、遠方の人たちもいらっしゃるようだ。
本来は、一つの場所で一人の手によって収穫されて加工され、商品となるもの。それが色んな人の意思で、それぞれが住う場所の土で育つ。やがて、元ある場所へ帰っていき、一つの材料にまとまる。様々な人間の背景を内包した特別な綿となる。
それは、輪が広がる感覚なんだと店主さんが言っていた。一つの丸だけに完結せず、複合的に広がりを持たせる。一つでも成立するが、隣り合って繋がれば豊かになる。そこに大きな丸が生まれる。この繋がり方は、私の在りたい人間関係そのものみたいだ。誰かに強いられたり、役割や義務感などではなく、そうしたいという誰かの意思で繋がる。そこで何かが廻れば環となって、また違う他の誰かとの繋がりになる。誰かのためにも、繋がるにも、常にwillで在りたい。豊かな何かに還っていくために。